happy21_sn’s diary

思ったこと 感じたことを綴ります。

私がアイドルが大好きな理由。

大好きな最推しアイドルが卒業を発表し、

そして今日は 推しの卒業コンサートの日。

 

思い返せば、「アイドル」が好きだったのはAKB全盛期から。

正統派アイドルの渡辺麻友ちゃんと 大人っぽい板野友美ちゃんが大好きな小学生でした。

当時は、ひたすら公式に上がるYouTubeを見てはアイドルに憧れていた事を今でも覚えています。

 

当時のAKBは、優子とあっちゃんの二大勢力(?)で。

その、「青春」にありがちな争いや葛藤、恋心そんな一言で表せない何かをを凝縮したのがAKBのPVでした。

特に「言い訳Maybe」や「大声ダイヤモンド」は何周も聞きまくりました。

小学生ながら、そこに微かな憧れを抱き、そしてキラキラしたアイドルに憧れていました。

それでも周りのAKB熱が冷めた事で、「AKBが好き」ということに何か恥ずかしくなってしまって。

その時から好きだった 山本彩ちゃんを総選挙の時だけ応援するのみで中学時代は過ごしていました。

そんな私が高校生になって、メイクをし始めて出会ったのが 吉田朱里ちゃんでした。

彼女がYouTubeで出した「僕以外の誰か」メイクで、何となく惹かれて見たPV。その時衝撃を受けたのが、推しの2人でした。ドンピシャに可愛い最推しと、将来このチームを引っ張っていくのだろうと思わせる推し。2人に出会わせてくれた朱里ちゃんには感謝しかないです。

そしてその時、小学生時代に可愛くて好きだった「さや姉」がセンターでいた事に「嬉しさ」を覚えました。

当時は周りの女子も皆坂道グループを推していました。 周りとの話を合わせたい、「AKBなんか好き」そんな感情よりも、小学生時代に憧れたあのキラキラしたアイドルを好きでいることにワクワクした、あの胸のドキドキで、「アイドル」が正真正銘大好きになりました。

いろんな意見があると思いますが、私の中で「アイドル」とは、

 

何かの「虚像」

 

だと考えています。

 

それは、英語の「idol」の意味からそう考えています。

idolとは本来、実像のない偽りの存在なわけです。

それがどのようにして、日本語の「アイドル」になったのかは分かりません。

しかし、私の「理想のアイドル像」は、idolとほぼ同意だと考えています。

その理想は、AKBそのものでした。

「青春」という一瞬の虚像。

それは、学生時代の一瞬にある幻想で、言わば偽りのような存在。そして、それを体現するのがあの時代のAKBなのだと思っていました。

今のAKBも、48グループも、もちろん坂道グループも

アイドルという存在である以上

一瞬の虚像の存在だと思います。

いつかは卒業する。 アイドルである推しはいつかいなくなってしまいます。

それでも、アイドルである彼女を、彼女たちを応援したい。

それが私がアイドルを好きな理由だと思います。 そしてその気持ちが、アイドルへの好意、憧れをより一層助長させるのでしょう。

推しのひとりは、今日卒コンを迎えます。

彼女が選んだその道を応援したい。その一心です。

私のアイドル推しという、終わりかけた青春を「彩」ってくれてありがとう。

そして卒業発表をした 大好きな推しへ。

 

 

その気持ちは、あと半年近く。もっと溜めておこうと思います。

 

 

男女の友情は成立するのか

恐らくこの問いに対して、1度は考えた事があるのではないかと思います。

 

単刀直入に言ってしまえば、私は「しない」という結論です。

 

前の投稿でもお話したのですが、今月の初め、私の誕生日に失恋しました。

2週間ほど経過し、誕生日の日以外落ち込むことも無くむしろ今までよりイキイキと生きています。

 

しかし、時々ふと悲しくなるのです。

片思いしていた方とはコロナ禍の前に出かける約束をしていました。

コロナ禍の緊急事態の中でも、「好きな人と出かけられる」その事実で頑張ってこれたものがいくつもありました。

失恋した以上、好きな人と出かける予定が無くなったも同然であると私は思っていました。

 

そこでふと考えたのです。

彼は私のことをどう思っていたのだろうか、と。

 

前述の通り、私は彼との予定を「好きな人と出かけられる」と考えていました。 しかし、彼はどうだったのだろうか。「友達」として誘っていたのでしょうか。

 

悲しいことに、失恋前最後の会話は「お互いが友人か否か」という会話でした。

私は、「好きな人」である建前もありつつも、普段LINEもせず、会話もほとんどないような関係だったので友達では無いと思っていました。しかし彼は違ったようで。

少なからず、異性と話すことのない私にとって「比較的話せる人」ぐらいでしかありませんでした。

 

そんなことを考えていると、そうなんだろうな。となんか納得がいくような。

 

しかし、私は「失恋」をしたわけです。

「好きな人」や「友人」とは出かけられても

「失恋した人」 とは出かけられないと感じたのです。

 

仮に私が彼に恋愛感情がなかったとしたら 出かける約束も断っていたように思います。異性と、さして仲良くないと思っている人と2人で出かけるということに対してプラスの感情は湧きません。

たまにするLINEも、用事が終われば即終わらせてたであろうと。(LINEは連絡ツールくらいにしか思ってないのですぐ辞めてしまうタイプ)

 

そうなると、失恋前に 少なからず彼の感じていた「友達関係」は私が彼に恋愛感情を持っていなければ成立しえないのでは。と感じてしまったわけです。

 

 

思い返せば、男女の友情というものを信じられずに生きてきました。

一人っ子であったこともあったのか、幼稚園に入るまでは親族ですら男性が苦手でした。

幼稚園に入っても男の子に背が小さかったので身長をからかわれたりなどいじめられていました。

小学校も他の子に比べて男の子と話すことはありませんでした。

小学校1年生から仲良かった男子は 高校卒業まで腐れ縁(笑) でしたし、仲のいい子もいました。しかし、その中の一部には真偽は別としても「私のことが好き」or「私が彼を好き」というどちらかが多かったように思います。 あ、腐れ縁のやつは全くそういうことはございません。

極めつけは初めての彼氏でしょうか。 付き合う前はとても優しく仲が良かったのですが、付き合ってからとても冷たくなり、理由を問うた所「付き合う前は好きになって欲しかったから優しくしてた」と言われました。

まあ今思うと照れ隠しなのでしょうが、中学の多感な時期の私にとって、(あぁ、男性ってこんなもんなんだな)と思うようになりました。

 

しかし、大学生の今、大学の唯一の友達は男性です。(友達がいないという点には突っ込まないでくださいね笑)

趣味がスポーツ観戦であることもあり、そういう意味では男性の友人は当社比かなり多いです。

腐れ縁の奴を含め、そういう彼らの中には恋愛感情が全くない関係もあるわけです。(私が知らないだけ、という線もあるかと思いますが、少なからずそのうちの数名は絶対違う根拠があるので……)

 

そもそも根本的な問題を言ってしまえば、私は「男女」という括りが嫌いなので、大学の友達にせよ、趣味の合う友人にせよ、「男性」としてみていないわけです。(流石に高校までは男女をとても気にしていましたが……。)

 

そうなると、「男女の友情は成立するか否か」については、「異性」として意識しているからこそ「男女の友情」という単語が出てくる。「異性」として認識しているということは恋愛感情があることから「友情」のようなものが芽生えるように見えるが「友情」では無い。 どちらかの恋愛感情がなくなれば、無くなる前に比べてその関係は薄くなる。

 

という結論に至ることになりました。

 

 

回りくどい言い方ですが……。

 

ひねくれた考えですね。笑笑

 

 

 

いずれにせよ、このような考え方なので好きだった人と出かける予定は無理だ、と思います。

 

行きたかったなあ。

 

完全に吹っ切れたら 行ってもいいかな。

 

 

 

誕生日に失恋しました。

……念願のはてなブログ始めた最初の記事がこれでいいのか……?
 
それはさておき、
 
ここ数年、恋愛というものに対して物凄く消極的に生きてきました。
その中でも「気になる」存在でした。
まあ特別仲がいいわけでもなく(そもそも異性が苦手なので)
定期的に合うような関係でもなかったです。
それでもどこか気が合う(と少なからず私は勝手に思っていた)こともあり
まあ趣味がそれとなく近いこともあり
2人で出かける予定がありました。
正直期待してた所はあったかもしれない。
異性と2人出かけるなんて、今までほとんどなかった
例えそれが「友達」としてだったとしても
自分としてはそれでも良かったと思っていました。
それでも楽しみだった私は、予定の1ヶ月以上前からコスメを買い集め、メイクの研究を始めました。
元々コスメやメイクは好きでしたが、今まで以上に。
2020年3月 日本で コロナウィルスが大流行しました。
その 楽しみ は残念ながらコロナウィルスによって流れてしまいました。
コロナがおさまったらまた出かけようか
そんな話をして。
緊急事態宣言でステイホームしている中 その事を心の底から残念に そして悔しく思いました
LINEもそんなにする間柄ではなかったので 元気にしてるのかなあと思いつつ。
コロナなんて すぐに収束する。遊べるんだ。そう願っていました。
緊急事態宣言解除後 遊びに誘われましたが、
自分が そしてもちろん 相手に何かあったら怖いという理由から断りました。
本当は行きたかった けれど、相手の事情からコロナに感染してしまっては今後の人生に関わる。その恐怖心から断りました。
今思えば、それからまともに会話することもなかったように思います。
それは、私自身がそこにどこか負い目を感じていたからで。
もしかしたら、あの日断ったことで今後はないのかもしれない。
コロナがおさまったら。その言葉はifの世界で。コロナがおさまろうともその時は来ないのではないか、
そう感じていました。
その直感は当たっていたようで。
正直、周りの反応からも そして本人の言動からもどこか多分期待している自分がいたのは事実で。
その一方で、今あるそれなりに仲のいい そんな関係が壊れることに対して恐怖心があり、これ以上親しくなりたくはないとも思っていました。
自分にとって、話せる異性というのは滅多にない存在でもあったからです。
もし恋愛関係に発展して 破綻して。この関係に戻れないのならそれで良いと。
多分 それは自分の恋愛関係に踏み出せない勇気がないことの言い訳でしかなかったと思います。
コロナが無ければ 今どうなってたのだろうか。
予定がコロナで流れ、 
緊急事態宣言下 解除後 再発令 そして 今。
その言葉を繰り返し唱えてきました。
もしかしたらーーー
もし、一緒に出かけることが出来ていれば
その 「もし」はもうないのだなあと思いました。
それでも、この一年近く
好きな人がいるというモチベーションで
メイクや美容、その他の物事を頑張ってこられたのは「好きな人」という存在がいたからだと思いました。
誕生日に失恋しました。
それはとても後ろ向きではなく 前向きにこの先 生きていくことができるきっかけになった思います。
「変わろう。」
誕生日という日は年齢が戸籍上変わるだけで
なにか自分が変わる日ではない。
けれど
失恋したこの日に。誕生日に変わろうと決意しました。
恋 から 変 。
コロナというウィルスは 私たちの生活を大きく変えました。
もちろん私も変わりました。
大学も通学することなく、1年を終えました。
コロナがなかったら
それは色んな場面で思った言葉だったけれど。
それでも…
 
やっぱり
もし一緒に出かけることが出来ていたら
 
 
 
 
なにか変わっていたのでしょうか。
 
 
 
 
 
Wish Happiness.
 
 
 
早くコロナウィルスが収束しますように。
 
 
 
出かける時のために買った化粧品。使い始めようか。