私がアイドルが大好きな理由。
大好きな最推しアイドルが卒業を発表し、
そして今日は 推しの卒業コンサートの日。
思い返せば、「アイドル」が好きだったのはAKB全盛期から。
正統派アイドルの渡辺麻友ちゃんと 大人っぽい板野友美ちゃんが大好きな小学生でした。
当時は、ひたすら公式に上がるYouTubeを見てはアイドルに憧れていた事を今でも覚えています。
当時のAKBは、優子とあっちゃんの二大勢力(?)で。
その、「青春」にありがちな争いや葛藤、恋心そんな一言で表せない何かをを凝縮したのがAKBのPVでした。
特に「言い訳Maybe」や「大声ダイヤモンド」は何周も聞きまくりました。
小学生ながら、そこに微かな憧れを抱き、そしてキラキラしたアイドルに憧れていました。
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それでも周りのAKB熱が冷めた事で、「AKBが好き」ということに何か恥ずかしくなってしまって。
その時から好きだった 山本彩ちゃんを総選挙の時だけ応援するのみで中学時代は過ごしていました。
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そんな私が高校生になって、メイクをし始めて出会ったのが 吉田朱里ちゃんでした。
彼女がYouTubeで出した「僕以外の誰か」メイクで、何となく惹かれて見たPV。その時衝撃を受けたのが、推しの2人でした。ドンピシャに可愛い最推しと、将来このチームを引っ張っていくのだろうと思わせる推し。2人に出会わせてくれた朱里ちゃんには感謝しかないです。
そしてその時、小学生時代に可愛くて好きだった「さや姉」がセンターでいた事に「嬉しさ」を覚えました。
当時は周りの女子も皆坂道グループを推していました。 周りとの話を合わせたい、「AKBなんか好き」そんな感情よりも、小学生時代に憧れたあのキラキラしたアイドルを好きでいることにワクワクした、あの胸のドキドキで、「アイドル」が正真正銘大好きになりました。
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いろんな意見があると思いますが、私の中で「アイドル」とは、
何かの「虚像」
だと考えています。
それは、英語の「idol」の意味からそう考えています。
idolとは本来、実像のない偽りの存在なわけです。
それがどのようにして、日本語の「アイドル」になったのかは分かりません。
しかし、私の「理想のアイドル像」は、idolとほぼ同意だと考えています。
その理想は、AKBそのものでした。
「青春」という一瞬の虚像。
それは、学生時代の一瞬にある幻想で、言わば偽りのような存在。そして、それを体現するのがあの時代のAKBなのだと思っていました。
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今のAKBも、48グループも、もちろん坂道グループも
アイドルという存在である以上
一瞬の虚像の存在だと思います。
いつかは卒業する。 アイドルである推しはいつかいなくなってしまいます。
それでも、アイドルである彼女を、彼女たちを応援したい。
それが私がアイドルを好きな理由だと思います。 そしてその気持ちが、アイドルへの好意、憧れをより一層助長させるのでしょう。
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推しのひとりは、今日卒コンを迎えます。
彼女が選んだその道を応援したい。その一心です。
私のアイドル推しという、終わりかけた青春を「彩」ってくれてありがとう。
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そして卒業発表をした 大好きな推しへ。
その気持ちは、あと半年近く。もっと溜めておこうと思います。
男女の友情は成立するのか
恐らくこの問いに対して、1度は考えた事があるのではないかと思います。
単刀直入に言ってしまえば、私は「しない」という結論です。
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前の投稿でもお話したのですが、今月の初め、私の誕生日に失恋しました。
2週間ほど経過し、誕生日の日以外落ち込むことも無くむしろ今までよりイキイキと生きています。
しかし、時々ふと悲しくなるのです。
片思いしていた方とはコロナ禍の前に出かける約束をしていました。
コロナ禍の緊急事態の中でも、「好きな人と出かけられる」その事実で頑張ってこれたものがいくつもありました。
失恋した以上、好きな人と出かける予定が無くなったも同然であると私は思っていました。
そこでふと考えたのです。
彼は私のことをどう思っていたのだろうか、と。
前述の通り、私は彼との予定を「好きな人と出かけられる」と考えていました。 しかし、彼はどうだったのだろうか。「友達」として誘っていたのでしょうか。
悲しいことに、失恋前最後の会話は「お互いが友人か否か」という会話でした。
私は、「好きな人」である建前もありつつも、普段LINEもせず、会話もほとんどないような関係だったので友達では無いと思っていました。しかし彼は違ったようで。
少なからず、異性と話すことのない私にとって「比較的話せる人」ぐらいでしかありませんでした。
そんなことを考えていると、そうなんだろうな。となんか納得がいくような。
しかし、私は「失恋」をしたわけです。
「好きな人」や「友人」とは出かけられても
「失恋した人」 とは出かけられないと感じたのです。
仮に私が彼に恋愛感情がなかったとしたら 出かける約束も断っていたように思います。異性と、さして仲良くないと思っている人と2人で出かけるということに対してプラスの感情は湧きません。
たまにするLINEも、用事が終われば即終わらせてたであろうと。(LINEは連絡ツールくらいにしか思ってないのですぐ辞めてしまうタイプ)
そうなると、失恋前に 少なからず彼の感じていた「友達関係」は私が彼に恋愛感情を持っていなければ成立しえないのでは。と感じてしまったわけです。
思い返せば、男女の友情というものを信じられずに生きてきました。
一人っ子であったこともあったのか、幼稚園に入るまでは親族ですら男性が苦手でした。
幼稚園に入っても男の子に背が小さかったので身長をからかわれたりなどいじめられていました。
小学校も他の子に比べて男の子と話すことはありませんでした。
小学校1年生から仲良かった男子は 高校卒業まで腐れ縁(笑) でしたし、仲のいい子もいました。しかし、その中の一部には真偽は別としても「私のことが好き」or「私が彼を好き」というどちらかが多かったように思います。 あ、腐れ縁のやつは全くそういうことはございません。
極めつけは初めての彼氏でしょうか。 付き合う前はとても優しく仲が良かったのですが、付き合ってからとても冷たくなり、理由を問うた所「付き合う前は好きになって欲しかったから優しくしてた」と言われました。
まあ今思うと照れ隠しなのでしょうが、中学の多感な時期の私にとって、(あぁ、男性ってこんなもんなんだな)と思うようになりました。
しかし、大学生の今、大学の唯一の友達は男性です。(友達がいないという点には突っ込まないでくださいね笑)
趣味がスポーツ観戦であることもあり、そういう意味では男性の友人は当社比かなり多いです。
腐れ縁の奴を含め、そういう彼らの中には恋愛感情が全くない関係もあるわけです。(私が知らないだけ、という線もあるかと思いますが、少なからずそのうちの数名は絶対違う根拠があるので……)
そもそも根本的な問題を言ってしまえば、私は「男女」という括りが嫌いなので、大学の友達にせよ、趣味の合う友人にせよ、「男性」としてみていないわけです。(流石に高校までは男女をとても気にしていましたが……。)
そうなると、「男女の友情は成立するか否か」については、「異性」として意識しているからこそ「男女の友情」という単語が出てくる。「異性」として認識しているということは恋愛感情があることから「友情」のようなものが芽生えるように見えるが「友情」では無い。 どちらかの恋愛感情がなくなれば、無くなる前に比べてその関係は薄くなる。
という結論に至ることになりました。
回りくどい言い方ですが……。
ひねくれた考えですね。笑笑
いずれにせよ、このような考え方なので好きだった人と出かける予定は無理だ、と思います。
行きたかったなあ。
完全に吹っ切れたら 行ってもいいかな。
誕生日に失恋しました。
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